抵抗の碑、和解の碑 — 刻まれた戦争の二つの記憶


 スロベニアの風景には、二つの異なる記憶が刻まれている。一つは占領に抗したパルチザンの抵抗の記憶、もう一つは戦後長く封じられてきた和解の記憶である。本サイトでは、各地のパルチザン記念碑、解放記念碑と、リュブリャナのジャレ墓地や市内に残る和解の象徴を一つの視野でたどる。
 戦後、特にユーゴスラビア時代に多く建てられたパルチザン関連の碑は、。スロヴェニアに7,700以上存在する。これらを全て地図上に網羅し、その場所の記念碑を写真付きで紹介しているサイトがある。
 2025年6月までは、
 https://www.geopedia.world/#T281_x1655411.5586442747_y5801300.965037239_s9_b362で、次のような画面が示されていて、それぞれの★をクリックすると各記念碑を紹介したサイトが現れる、というものだった。2026年4月時点でもまだサイトを見ることができる。

© Author: Geopedia / CC BY-SA 4.0Source: Wikimedia Commons(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Slovenski_partizanski_spomeniki_na_Geopediji.jpg)


 2025年6月以降は、このサイトは
https://partizanstvo.si/en/map/?zoom=9&lat=46.1511&lng=14.9955&layers=に移動して新しくなった。Geopedia の地図エンジンを使った、Partizanstvo.si 独自のパルチザン記念碑地図一覧である。このサイトを作ったのは、現代スロベニアの歴史研究者グループ「Partizanstvo.si」プロジェクトである。
 リュブリャナのŽale ジャレ墓地には、パルチザンの戦士や人質となって殺された人々(戦士の家族や強制連行して殺された人々など)の墓がまとまってある区域がある。墓は310基あり、そのうち285基は埋葬済みで、25基は空で、碑文のない記念碑が立っている。各墓には最大4人の死者が埋葬されている。埋葬されているのは441人である。」(Geopediaより)なお、ジャレ墓地については、私のサイト「戦間期のプレチニクによる数々の設計・建築」も参照してください。

 



 この墓石のすぐ西側には「戦闘員と人質の記念公園」が作られている。そこには国内の人質に捧げられた「生命の噴水」、低い六角形の噴水の縁には、遊び心たっぷりに縁にバランスをとって立つ3組の子供たちが配置されている。また抑留者記念碑が建てられ、それは、有刺鉄線のフェンスの後ろに閉じ込められたスロベニアの囚人(第二次世界大戦中のリュブリャナそのものを象徴)を模したものである。遠くから見ると、強制収容所の監視塔のように見えるように意図されている。「人質の柱」もある。

  

 
 スロベニアのパルチザン記念碑や解放戦線関連の碑には、反ファシズムと抵抗の象徴である星(赤いものが多い)が刻まれている。これはパルチザン運動の公式徽章であり、スロベニア独立後も歴史的記憶とされ続けている。すでに私の歴史サイトのリュブリャナ郊外の最初の攻撃の場所の記念碑、イタリア軍に手痛い打撃を与えたイェレノヴォ・ジュレブの戦闘記念碑を思い出して下さい。以下、旅行途中で他に目にしたものを掲示します。
 


マリボルの記念碑。「1941年6月、マリボルの解放戦線(OF)市委員会が設立された家」の記念



velenjaヴェレニェの碑。この地域で戦死した668名のパルチザン兵士の追悼碑(右)と、銃を下に向けた平和の象徴と水盤に注がれる流水が平和への道を表わす記念碑(左)(Geopediaのサイトより)

    

(左)Poljanaポリャナの大戦最後の勝利の記念碑  (右)同ポリャナに終戦40周年記念の「ダルマチア・パルチザン旅団の足跡をたどる」パルチザン行進の参加者たちによって寄贈された記念碑(Geopediaのサイトより)


 首都リュブリャナの国会議事堂の近くに、「人民の英雄の墓」という埋葬施設兼記念碑がある。ここには、Edvard Kardelj エドヴァルデ・カルデリ、Boris Kidričボリス・キドリッチという戦中から戦後のスロヴェニア共産党の指導者や、パルチザン第3代最高司令官Franc Rozmanフランツ・ロズマン(戦名Staneスタネ)など16名の指導者たちが埋葬され、さらにその上に石棺にレリーフを付けた形の記念碑が作られている。碑文には「祖国は我らすべてに与えられた一つのものであり、一つの生と一つの死がある。自由のために戦うべく我らは集い、人生とは何か、死とは何か? 未来こそが信仰であり、そのために死ぬ者は、死に落ちた時、生へと昇るのだ。」とある。(Geopediaなどより) これがスロヴェニア中心部の最たるパルチザン記念碑ということになる。

  

 国会議事堂が面する通りを少し東に行くと、フランツ・ロズマンの顕彰碑がある。戦後30年記念で作られた。花崗岩の板に、スタネ司令官とパルチザンたち、そして「勝利」の寓意を浮き彫りにしたものが、金属製の支柱に取り付けられている。

  

右の胸をはだけた女性のレリーフは、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」から着想したのだろうか?



 各地方都市にも、解放記念碑がある。
 マリボルのものは、重さ25トンの球状のユニークなものである。「彫刻の滑らかな青銅の表面を横切る2つの側面に切り込まれた大きなスリットを通して、内部の球体が見える。そこには多くのパルチザンやユーゴスラビアの英雄たちの顔が刻まれている。彫刻は円形の青銅の台座の上に置かれており、台座自体にもいくつかの碑文が刻まれている。その一つは、1942年にドイツ軍によって処刑される直前に、マリボル在住のヨジェ・フルクスが家族に宛てて書いた手書きの手紙の写しである。」「記念彫刻の内側の球体の表面には、民族解放戦争における数多くのユーゴスラビアの英雄たち、およそ200人の顔が刻まれている。その多くは、特にスロベニア(さらには地元のマリボル)にとって重要な人物である。この顔のコラージュの中で容易に識別できる顔には、ヨシップ・ティト大統領、スロベニア生まれのユーゴスラビア国民的英雄アルフォンツ・シャルフ、スロベニア人パルチザン司令官フランツ・ロズマン、そして地元マリボル生まれのユーゴスラビア国民的英雄スラヴァ・クラヴォラなどが含まれている。興味深いことに、これらの芸術的表現は極めて写実的であり、青銅に精密に成形された一連の水平溝を刻むことで作られている。遠くから眺めると、無数の生き生きとした顔が現れる。」(サイト「Spomenik Database | Liberation Monument at Maribor」 https://www.spomenikdatabase.org/maribor?utm_source=copilot.com より)


台座に刻まれた、ヨジェ・フルクスの遺書


 コチェービエの解放記念碑は、中央の碑から三方向に張り出すユニークな形をしている。「この記念碑は、闘争、解放、復興の理念を象徴している。・・・中央の彫刻は、アカデミー彫刻家のボジダル・ペンゴフの作品であり、・・・側面の彫刻は、アカデミー彫刻家のロイゼ・ラヴリッチ(『伝令を連れた母』)、マルヤン・ケルシッチ(『銃を持った戦士』)、スタネ・ケルジッチ(『爆弾処理の女性』)による。」(Geopediaより)母と伝令は市民の支援、爆弾娘は女性の参加、とパルチザン運動が「社会全体の抵抗」であったことを示す構造になっているといえよう。


中央に上にパルチザンの赤い星、兵士たちが解放と再建の柱を立てているか。左が爆弾処理の女性、右が銃を持つ兵士。


  

左が伝令の子供を抱く母、右が武器を取る男


 


 「パルチザンの黒歴史」のページでふれたが、戦後のユーゴスラビア時代(1945–1991)には、占領軍(ドイツ・イタリア)やその協力者の墓碑・記念碑は、国家政策として公的空間から撤去され、多くが破壊された。しかし、スロベニア独立後、戦後の裁判外処刑や報復行為の調査が進む中で、かつて敵側とされた人々や占領軍兵士についても、その死を政治的対立を超えて記憶しようとする姿勢が生まれた。こうした「すべての戦争犠牲者を追悼する」という観点から、ジャレ墓地でも協力者の記念碑やドイツ兵の埋葬区画と慰霊碑が設置されるようになった。
 ジャレ墓地には、第二次世界大戦期のスロベニア国民防衛隊(Domobranci/スロベニア・ホームガード)
の犠牲者を追悼する記念碑が設置されている。Domobranci は1943年以降、ドイツ占領下で組織された治安部隊であり、戦後は「協力者」として多くが裁判外処刑の対象となった。半円形の石板には犠牲者の名前が刻まれ、中央には象徴的なヘルメットの彫刻が置かれている。



 また、ドイツ兵の慰霊碑、墓もある。「中央には大きな十字架の記念碑と2枚の銘板があり、そこには(ドイツ語とスロベニア語の両方で)「第二次世界大戦の戦没者がここに眠る。彼らと、あらゆる戦争の犠牲者を忘れるな」と記されている。中央の円形広場の周りには、3本の十字架の墓標が立つ区画もいくつかある。」(Ashley Smithさんのサイト「WWII Sites in Ljubljana: 17 Interesting Museums & Memorials in Slovenia’s Capital」 https://destinationwwii.com/wwii-sites-in-ljubljana-slovenia/ 2026年4月9日閲覧より)





 


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