解放勢力の「黒歴史」
---報復の「裁判外処刑」
ユーゴスラビア崩壊の少し前から明らかになった事だが、「ドイツなど占領軍に協力した」として、捕虜となったパルチザンに敵対したスロヴェニア人が裁判もなされずパルチザン兵らに私的に「処刑」されていた。これはすでに1942年に1,000人もやられていた①。戦死ではなくである。そして、解放直後の1945~46年に特に集中していた。「パルチザン側は捕虜となったスロヴェニア人を短時間の審問にかけ、A・B・C の三段階に分類したが、これは司法手続きではなく、C に分類された者はほぼ全員が処刑された。②」この記録も残ってなく、どこに死体が埋葬されたかも不明で、これはとても正式な裁判と言えるものではなかった。スロベニア政府の「隠された埋葬地委員会」の元委員長Jože Dežmanヨジェ・デジュマン は、国民議会での複数の公式報告およびその後の学術・報道での説明の中で、これらの「裁判外処刑」(povojni poboji)の犠牲者数を約 10,000〜12,000 人と推定している➂。さらに、政府は彼らの墓を管理せず、集団的記憶の中に彼らの居場所はなく、記録されることも、追悼碑を持つことも許されなかった。ナチスに動員された者たちは、『ナチ兵士』、国家の裏切り者という烙印を押された④。戦争中、イタリアやドイツ占領軍、それらの協力者たちがパルチザンや協力した住民らを虐殺したり、村を焼き払ったという事実があり、報復感情が高まっていたこと、戦後の混乱の中で新しい国家の司法制度が機能しきれてなかったこともあったが、これは現在の法治国家の視点から見ると許されないこととしか言いようがない。さらに、それにも含まれない、私的な個別殺人とも言うべきものも含めると、犠牲者は15,000人にも上る⑤。この数字を挙げた、パヴェル・ヤムニクは、報告の中で、「スロヴェニア政府の調査によれば、国内には約600カ所の隠された埋葬地が確認されている。⑥」としたが、これらの埋葬地の犠牲者がすべてスロヴェニア人であったわけではない。第二次世界大戦直後、スロヴェニアはバルカン半島からオーストリアへ向かう敗残兵・民間人の通過地域となり、多数のクロアチア人、セルビア人、ボスニア人などがパルチザン軍に捕らえられ、スロヴェニア領内で殺害された。スロヴェニア警察の公式捜査によれば、「戦後数か月の間にスロヴェニア領内で殺害された者は約10万人に達し、その大多数は他のユーゴスラビア諸民族であった。そのうち、スロヴェニア人の犠牲者は少なくとも15,000人とされる。⑦」ファシズムからの民族解放闘争勝利という偉業は決して否定されるものではないが、この「汚点」が付いたのは残念である。これはスロヴェニアだけでなく、ユーゴスラビア全体でもなされていた。その人々の「埋葬地」として「悪名高いのは、Barbaraバルバラ坑道⑧」だとのこと。遺体は坑道に投棄され、コンクリートで封鎖されていたが、2009年に封鎖が破られ、700体以上の遺骨が発見され世界的ニュースになった
①1942年春までにパルチザン側が裁判なしに1,000人以上の民間人を殺害したという記述は、Silvo Grgičシルヴォ・ギルリチ 『Zločini okupatorjevih sodelavcev(占領者協力者の犯罪)』第III巻第2号、リュブリャナ、2002年、pp.1081–1098.
Jože Dežman ヨジェ・デジュマン Communist Repression and Transitional Justice in Slovenia 「スロベニアにおける共産主義体制下の抑圧と移行期正義」
Crimes Committed by Totalitarian Regimes『全体主義体制によって犯された犯罪』欧州委員会およびスロベニア共和国 EU 議長国、2008年 p198脚注.で引用されている。
②Mitja Ferenc, “Secret World War Two Mass Graves in Slovenia,” in Crimes Committed by Totalitarian Regimes: Reports and Proceedings of the 8 April 2008 European Public Hearing, European Commission & Slovenian Presidency of the Council of the EU, 2008, p.156.
ミトヤ・フェレンツ 「第二次世界大戦中のスロヴェニアにおける秘密の大量埋葬地」 『全体主義体制によって犯された犯罪 (2008年4月8日 欧州公聴会 報告書・議事録)』 欧州委員会・スロヴェニア共和国 EU 議長国、2008年 p.156
➂RTV Slovenija(国営放送の公式ウェブ記事)公開日:2015年5月23日 「70 let po koncu vojne: prikrita grobišča in povojni poboji (終戦から70年:隠された埋葬地と戦後の虐殺)」 など
④Jože Dežman ヨジェ・デジュマン 同上書p.200
⑤犠牲者15,000人についてはPavel Jamnik, “Post‑World War Two Crimes on the Territory of Slovenia,”in Crimes Committed by Totalitarian Regimes (European Commission & Slovenian EU Council Presidency, 2008), p.207
(パヴェル・ヤムニク「スロヴェニア領域における第二次世界大戦後の犯罪」『全体主義体制によって犯された犯罪』(2008年4月8日 欧州公聴会 報告書・議事録)欧州委員会・スロヴェニア共和国 EU 議長国)p.207
⑥同上書p.210
⑦同上書p.208
⑧Mitja Ferenc 同上書p.159