阮朝によるクメール人支配
阮朝の時、現在のベトナム領土の支配を確定して行うことになった。
別の面から言うと、これは黎朝のときに支配下においたチャンパだけではなく、南部に住んでいたクメール人を支配下に置いたり、その居住地から追い出したことであった。ベトナムが中国からの支配を受けただけでなく、他民族を支配したということも知っておくべきである。ベトナム南部のクメール族の住む、その上座部仏教寺院のあるチャビンという所に行ってみた。
ここのアン寺院(Angkorajaborey 「王都の栄光の寺」建立990年)というところに行った。タイで見た上座部仏教寺院に雰囲気がよく似ていたが、装飾のあちこちに人面を使っていて、タイの寺院とは明らかな違いを認識した。帰国してから調べて驚いたのは、この寺院だけでなく、クメールの上座部仏教寺院は、その人面のデザイン、モデルの一つに観音菩薩を使っているということ。私の見たものは「観音+王」像の人面だったが。上座部仏教では、仏は釈迦のみという信仰で、また仏になる修行をする菩薩と言う概念自体を否定すると理解していたためである。釈迦のみが仏なので、どう修行をしても仏陀にはなれないという理念だ、と理解していた。様々なクメール上座部仏教についての書やサイトを見ると、1200年、クメール王国の王だったジャヤバルマン7世が、それまでのアンコールワットに見られるようなヒンドゥー教信仰を転換し、大乗仏教に帰依し、バイヨン寺院などを建立し、慈悲の象徴である観音菩薩を四面に刻んだものを建てた。そして、14世紀にクメールは上座部仏教にまた改宗したが、この観音像などの人面を寺院内に多く立てる様式を続けたということである。大乗仏教の国、ベトナムに来て、このような異文化に触れ、自分の見識が深まって良かったと思った。なお、GoogleMapsで近辺の別の寺院の写真もいくつも見たが、皆このような人面像を立てている。それから、後で示すが、ベトナム戦争当時、この仏教の中には解放戦線に協力した勢力があったため、現在のベトナム共産党当局は、このような立派な寺院が存立することを認めているのだと思う。

入口の一つに、タイの寺院でも見られた守護神ヤック像。寺院の建物の屋根にはガルーダとナーガも。

釈迦仏

これら三つの四面の人面は、観音+王の像のようである

右は池の蓮の花の後に彩色された人面像がある。これらは、守護神像だというが?
この寺院を訪れた後、すぐ近くのクメール民族文化博物館に行った。かつての村の様子のジオラマや、クメール民族の日常の衣服、結婚式の様子がマネキンとともに示されているなど興味深かった。


館内には、(左)19世紀後半~20世紀にかけての上流階級の男女の、そして(右)20世紀の同男女の衣服が展示されていた。

お祭りの様子

「仏前」結婚式の様子。花嫁の冠が良く見えるように、右にアップ。
他にも興味を惹かれた、クメールの伝統楽器の展示もあった。下の左はTro Khmerトロ・クメール(またはトロ・クマエ)と言う、蛇の皮を貼った三線。右は撥で打って鳴らすKhum(クム)という打弦楽器である。特にトロ・クメールは、見た瞬間、沖縄の三線との共通性に思い当たった。両者は繋がっているのか? ところが調べてみると、沖縄の三線は中国の楽器を基とした、弦をはじくものであるが、このクメールの楽器は、「レバブの一種である三弦のスパイク・フィドルです。カンボジアにおけるその出現時期を特定することは不可能ですが、マレーシアやスマトラにレバブが登場した時期、すなわち15世紀頃とほぼ同時期に導入された可能性が考えられます。」(サイト「Sound Angkor」より)ということで、アラブのレバブという弾く弦楽器を出自としていた。しかし、三弦とし、蛇皮を貼ったのは、クメールにおける独自の文化だ、とのことである。たまたま、気候の似ているクメールと沖縄で音の響きを良くするため、両者は蛇皮を貼るようになったという。そしてこのクメールの楽器は弦で弾くところが沖縄の三線と決定的に違う。文化的起源を異にする二つの楽器が似たような外観になったというのはまことに興味深いことだ。

右の写真の金属製の打楽器は、Chhingチンという、音も「チン」と鳴るもので、小型のシンバルみたいなもので、クメール音楽の拍子を取るためのものだとのこと。

(左)抗仏戦争、抗米戦争を戦ったクメールの人や僧の顕彰 (右)懐かしいホーチミンの「独立と自由ほど尊いものはない」のスローガン