帰って来たフランスとの戦い始まる
フランスのベトナム支配復活を助けたイギリスと、フランスとの対決姿勢に転じたベトミン
1945年7月の連合国のポツダム会談で、日本軍が武力支配していたベトナムでの日本軍武装解除の主体が決められた。北緯16度線以北を蒋介石の中華民国が、16度線以南をイギリスがそれぞれ日本軍の武装解除に当ることとなった。
北部では1945年10月20日、蔣介石軍が日本軍に代わり、日本軍は抵抗しなかったため、1946年3月までに北部にいた3万人の兵士が武装解除され、日本に帰国した。しかし、中国での共産党軍との内戦が本格化したため、蒋介石軍は1946年3月28日、フランスと条約を結び、日本軍武装解除の任務をフランスに引き継いでベトナムから撤退した。この蒋介石軍に対し、ホーチミン、ベトミンは衝突を回避するため、価値の下落した彼らの通貨を引き受けたり、軍に食糧供給を行った。1945年8月24日、イギリスはフランスと条約を締結し、インドシナにおけるフランスの支配を承認した。
サイゴン到着後、日本軍の武装解除を進めることと並行して、インドシナにおけるフランス軍の勢力と地位を回復させることに大きな注意を払った。1945年9月14日、サイゴン郊外などに到着、展開したイギリス軍将校と兵士、そしてフランス軍は、多数のベトナム人の逮捕・投獄・殺害を行うことで、ベトナム人民の独立闘争を弾圧した。またイギリス軍は、革命武装勢力に武器を放棄するよう要求し、現地住民が武器を携帯することを禁止した。 これにより、南部全域で住民は連合軍に対する非協力的な行動に訴えるようになった。1945年9月23日の朝、イギリス軍に武装させられた300名のフランス兵が、サイゴンにおけるベトミン管理下の多くの地点を攻撃した。サイゴンにあったベトミン行政府組織は排除された。 10月に増強されたイギリス・フランス同盟は日本軍の支援も受け、都市から郊外へとベトミン武装勢力を掃討する作戦を迅速に展開した。
1946年初頭、フランスが支配を取り戻すのを助けた後、イギリス軍は順次ベトナムから撤退した。サイゴンで日本軍の武装解除を担当していたイギリス軍司令官は作戦を終了し、1946年3月15日、インドシナを正式にフランスに引き渡した。南部で復員した日本軍(タイとミャンマーにいた者を含む)は約70,000名であった。
---以上の説明は英文「Japanese Disarmament In Vietnam After World War II: Through Records And Archival Documents In Some Vietnamese Archives」(「第二次世界大戦後のベトナムにおける日本軍の武装解除:いくつかのベトナムの公文書館にある記録と文書を通して」 DAO DUC THUAN, NGUYEN VAN NGOC著 『東洋文化研究22号』)と『一冊でわかるベトナム史』の内容による。
1946年になると、ベトナム支配復活を目指すフランスは、北ベトナムにも手を伸ばし、11月にハノイでベトミンと軍事衝突し、さらにハイフォンでベトナム側の武装解除を強行して市街戦となり、数千人の市民が犠牲となった。外交努力を続けていたホーチミン、ベトナム民主共和国は、方針転換して、1946年12月19日、フランスに対して正式に武装抵抗を宣言した。ベトナム民主共和国はフランスに対してゲリラ戦で対抗したため、この戦争は長期戦が予想されるようになり、また世界の反植民地主義の運動が高まってきたため、フランスは露骨な直接支配の形を取りやめ、自分たちの意のままになるベトナム人の政権を作って操作し、ベトナム民主共和国に対抗させようとした。選ばれたのは、退位した後、香港に暮らしていた阮朝最後の皇帝バオダイであった。1949年、彼を国長という元首とする「ベトナム国」が南ベトナムにつくられたが、役人はベトナム人で構成されていたが、フランス大統領からの書簡(「エリゼ協定」)では、「ベトナムの外交権は、フランス政府の指示と責任のもとで見直され調整される」「ベトナム外交使節団の長は、フランス連邦大統領から発行され、ベトナム国長の署名が入った委任状を受け取るものとする。ベトナムが外交使節団を派遣する国々は、フランス政府の同意を得て決定される。」など、外交権をフランスが持ち、また「戦時には、主にベトナム陸軍とフランス連合軍で構成されるすべての防衛施設が統合され、・・・指揮はベトナムの主要戦場を担当するフランスの将軍級将校によって行われる」として、軍の最高指揮権もフランスが持つという、いわゆる傀儡(かいらい)政権としか言いようのないものであった(以上Wikisource「1949年3月8日付け フランス共和国大統領、フランス連邦大統領からの書簡」より)。

バオダイ
1948年撮影・撮影者不明・ベトナム国内ではパブリックドメイン