ベトナムの近況について、最低限知っておいてほしいこと
私は日本人で、ベトナムには観光客として2回、のべ20日行っただけである。ただし、戦争の起きていた時は中学から大学生にかけてで、この戦争の本質については仲間たちとともにかなり勉強をして深めた。また、直感として現地でつかんだこともあるので、これからベトナム旅行に出かける人たちに伝えることも、素人なりに意味のあることだと考え、次のようなことを書いてみることにした。
○国土面積は33万1690㎡。日本の90%。首都ハノイを含む地帯は紅(ホン)河デルタ地帯。南部はメコン河デルタ地帯となっている。面積の3/4は丘陵地帯となっている。○気候は、だいたい雨季(5月~10月)、乾季(11月~4月)のサバナ二期気候帯に属す。米を中心に二期作以上で作っているが、フランスの政策を引き継ぎ、ゴム、コーヒー、胡椒、ココヤシ、養殖海老など商品作物の生産も盛んである。○人口は約1億30万人。いわゆるベトナム人はキン族という民族で、人口の87%を占め、言語系統ではオーストロアジア語族で、カンボジアのクメール語などと同系統。発音には「六声(せい)」として分けられる、独特の6種類の高低の抑揚がある。最低「シンチャオ」(こんにちは)、「カムオン」(ありがとう)は憶えて使いたいところ。なお、ベトナムはキン族も入れて54の多民族国家である。文字はクォックグー(国語)というもので、フランス支配時代に広まったラテン文字に6声の発音を付属の記号で示すもの。○民族衣装はアオザイと呼ばれ、ベトナム航空のCAも着ている。男女それぞれのアオザイがある。観光地では貸衣装の人気があり、少なくない人が臨時に身に付けている。ハノイやホーチミンでもアオザイを着た女性をよく見かける。公立の女子高校生は、全身白いアオザイを「制服」とされているところが多い。○バイク、自動車が道路に溢れるばかりに走っている。歩行者用の信号、横断歩道は少ない上、バイクも自動車も、日本のように歩行者優先の姿勢でなく、こちらが信号を守り、横断歩道を渡っていてもお構いなしであることが多い。絶対に個人で道路を横断せず、現地のガイドにくっついて渡る(結局、自動車とバイクの走る間をすり抜けることになる)こと。○長い間、中国の直接支配の後、10世紀に中国の軍隊を戦って破り、初めての王朝が成立した。それ以後も、宋、元、明、清とそれぞれ戦って独立を守って来た。しかし、19世紀後半、フランスに武力で降伏し、過酷な、分断植民地支配を受けてきた。知っておくべきこととして、日本も1940年以来、自分の都合でベトナムに進駐し、1945年にはフランスに代わってベトナム支配をし、その政策のため、ベトナム人100万人以上にも上る餓死者を出したことである。これらと正面から戦って独立を果たしたのがホーチミンを中心としたベトナム共産党だった。彼のベトナム独立宣言には「日本から独立した」と書かれている。アメリカが、共産党政権(ベトナム民主共和国)とその支持した南ベトナム解放戦線軍(ゲリラなど)を倒すため、成立していたベトナム民主共和国に大規模な爆撃を行ったり、アメリカ地上軍を南ベトナムに数十万人派遣してゲリラ掃討にあたり、潜むジャングルを減らすため「枯葉剤」を大量散布し、今でも多くの人々を苦しめている。しかし、南北の革命勢力は、ホーチミンの「独立と自由ほど尊いものはない」の教えに導かれ、戦って、ついにアメリカ軍を追い出し、1975年、ベトナムを統一してベトナム社会主義共和国を成立させ、真の独立と統一をかちとった。このため、ベトナムは共産党一党支配の国で、町中のあちこちに赤いポスターや看板がある。○成立したベトナムは、隣国カンボジアのポルポト政権が大量の国民を殺すなど非人道的な政策をとり、ベトナム国境も侵犯したという理由で、カンボジアに侵攻し、ポルポト政権を倒し人道面での評価がある一方、ポルポト政権を支えていた中国から「制裁」として侵攻されたり、10年も居座ったため国際的非難を浴びたので撤退した。周りの東南アジア諸国とも関係が悪化した。カンボジア撤退後、周りの国と関係改善を行い、現在ではASEANの構成国である。1986年からは「ドイモイ(刷新)」と呼ばれる市場経済、外資導入政策が導入されてきた。また、アメリカとも国交を再開し、貿易も行っている。日本には大量の「技能実習生」などを送っている。○現在、経済の高い成長が続き、都市にはタワービルが次々と建ち、ハノイには公共高架鉄道、ホーチミンには地下鉄が、日本の援助も受けて建設進行中である(一部は開通)。