ベトナム北部に多く出現した銅鼓は、単なる古代の遺物ではない
どの世界史の教科書も、ベトナムの古代の特徴として、中国の青銅器文明の影響で生まれた銅鼓(どうこ)をシンボルとする「ドンソン文化」をあげている。これはその銅鼓の発見されたタンホア省の村名に由来するもので、ベトナム北部を中心に紀元前3世紀~後1世紀に最盛期を迎えた。
私がハノイの国立歴史博物館で見たのは次のものである。

特に右のものは胴の部分が垂直で、ベトナムでよく出土するものと言う。(サイト「文化遺産オンライン 銅鼓」より)
次の写真のように、胴鼓の上部を展示したものもあった。太陽を中心に、鳥や宗教儀式を行う羽根を付けた人々や生活のための船などが刻まれている。


同博物館の青銅製武器の展示など
ベトナム国立歴史博物館が公開している、銅鼓・青銅武器・甕棺・農具・住居跡など発掘物の資料説明によると、
○銅鼓は高度な青銅鋳造技術を示す
○文様(太陽・鳥・船)が儀礼・航海・宇宙観を示す
○武器・甕棺の副葬品から首長制社会が読み取れる
○農具・生活具から農耕社会であることがわかる
○遺跡は紅河流域に広く分布する
とのことである。さらに、この銅鼓が出土するところ、時代には、日本のような大きな古墳や宮殿、都は出土しておらず、特別に多くの副葬品を伴う墓も無く、祭祀や軍事、農耕などは、それぞれにデザインの違う銅鼓を所有し使った、村レベルの指導者が各地にいたことを示しているという。先走って、私がベトナムの歴史を学んだうえで抱いた歴史観を述べると、
「ドンソン時代に銅鼓を中心に結束していた村落共同体の組織力こそが、後の中国と何回も戦い、独立を果たしたベトナム史を貫く強靭な抵抗力の源流になったと考えうる。また、この「農民の力」を、ベトナム労働党(共産党)が、自らの理念で作った「ベトミン」「合作社」や「解放戦線」などにうまく組織化し、正規兵や民兵として動員できたことが、フランス、アメリカといった外来勢力に対して長期戦を戦い抜き、民族独立を勝ち取った背景にあったのではないか。その意味でも、銅鼓は単なる古代の遺物ではなく、ベトナムの農民パワーを象徴する存在の一つと言えるだろう。」このような村を統合して、城塞を中心とした国家と言えるものが現ハノイ市のコーロアに成立したことが、発掘と中国史書の記述からほぼ確定されているが、それは呉朝の成立のところで説明したい。
以下、銅鼓について、より詳しい説明を紹介しよう。
ベトナム国立歴史博物館(Ngọc Lũ Drum)の説明によると、ある銅鼓は、直径79cm、高さ63cm、重量数十kgだとのこと。
サイト「Vietnam's Đông Sơn Drum」 Asia Media Centreによると、
「銅鼓は、顔、胴体、足部の三部分から構成され、最初の二部分には精緻な細工が施されています。これは文化と生活を表現した芸術作品です。直径約30~70cmと大きさは様々ですが、多様な文様により、各ドンソン銅鼓は古代ドンソンの人々の異なる情景を描いています。この時代には文字はまだ存在しませんでしたが、それらはエジプトの象形文字のように、彼らの『文字』となったのです。研究者ダン・タン・ビン氏によれば、ドンソン銅鼓の表面には二つの典型的な詳細が不可欠です。
一つは、太鼓の鼓面中央に描かれた太陽の紋様で、放射状の光線が6本から16本まで様々な本数で表現されています。これは当時の現地人にとって自然の最高神であった太陽を表しています。
主に農耕と狩猟で生計を立てていたドンソンの人々は、農耕と生活に光と恵まれた天候をもたらす太陽神に深い感謝と崇敬の念を抱いていました。『そのため、太陽は常に太鼓の中心に配置され、全ての生き物を育むために光線を広げる役割を担っているのです』とビン氏は説明しています。
彼らの水稲栽培文化は、太鼓に描かれたもう一つの象徴的な図柄にも表れています。それは、長い嘴と長い尾を持ち、翼を広げた鳥です。これは、田んぼでよく見られるコウノトリやツルとみなされています。」
「ベトナム国立歴史博物館のガイド、レ・ティ・リエン氏によれば、銅鼓は儀式や祭りの開始を告げるために鳴らされます。特に古代においては、戦時中に指導者が人々を戦いに召集するために打ち鳴らしたものです。そのため、通常は最も優れた銅鼓を所有していたのが指導者たちでした。指導者の権威が強ければ強いほど、所有する銅鼓は大きく精巧なものだったのです。」とのこと。
すなわち、銅鼓は、村の祀りを行う者、軍事の召集・指導をする者が打ち鳴らすものであった。